「読書の秋」と、人は言うけれど、秋でなくても読書は楽しい。 冷え込む冬の夜に暖かい部屋でぬくぬくと文字を追っていると、自分は世界一の贅沢者のような気がしてくる。 春にきれいな表紙の本を手に取り、内容を確かめずに読み始めるジャケ買い的読書はスリル満点。夏は背筋が凍るほどのミステリーで暑気払いの読書。
そんな中、今年の秋に読んだ本は、実に面白かった。
まず9月末に井上荒野『あちらにいる鬼』(朝日新聞出版刊)を読む。著者の父親・井上光晴の生き様をベースにしたフィクション。実在の人物を彷彿とさせる登場人物の表情が目に浮かぶようで、一気に読み終えた。この作家の作品を続けて読んでみたくなり、10月、図書館の棚に並ぶ何冊もの著書のうち、手に取ったのは『ママがやった』(文藝春秋社刊)。タイトルの付け方が上手いなぁ、この作家は。
物語は「ママ」が犯した殺人事件を軸に、周囲の人間それぞれの日常が物語られる。いくつもの人生と時間を共有しながら読み進み、次第に読者は自分自身も事件の核心に近づいているような気分になってくる。そして、その話の展開にギアが入るところで出てくるのが、鎌倉。最初に顔を出すのは鳩サブレーだ。これからお読みになるかもしれない方のために詳細は控えるが、鳩サブレーは殺人事件に加担している、、、かもしれないですよ。
街に出れば豊島屋さんの黄色い袋をぶら下げて横須賀線の上りに乗って家へと帰る観光客の方々を何人も見かける。それは鎌倉では「よくある風景」ではあるが、この本を読んで以来、鳩サブレーの黄色い袋の行き着く先には袋の数だけの出来事があり、あの鳩たちは、予想もしない出来事を幾つも目撃することになるのかもしれない。・・・などと考えたりもしている。
そういえば、読書記録を見返してみると、昨年も一昨年もその前も、やはりどういうわけか秋には心に残る本に出会えている。円城塔『文字渦』、E・F・サンダース『翻訳できない世界の言葉』、R・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』etc…
なぜだろう?
確かに、 秋の読書は、夏の暑さが去って何か一枚羽織るものがないと頼りないような気のする、そんな季節の心情をもう一枚の何かで暖めてくれる役目をしているのかもしれない。 秋には人と本とを繋ぐ見えない力があるのかもしれない。 だから余計に心に残るのかもしれない。
私以外の人は、こんなことは当たり前のこととしてみんな知っていて、これを人は「読書の秋」と呼んでいるのだろうか。
以前は、八幡さまの大銀杏の葉が黄金色に輝きそして見事に散って秋の終わりを告げていた鎌倉。今年私は何を見て冬の訪れを感じることになるのだろう。 読書の秋から読書の冬へと季節は進んでいく。贅沢な時間に相応しい本を探しに、本屋さんへ図書館へ、また出掛けなくちゃ。
投稿者:はなまき
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